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カテゴリ:訃報
  • 野田昌宏大元帥が永眠
    [ 2008-06-06 22:09 ]
  • アーサー・C・クラーク氏、死去
    [ 2008-03-19 23:53 ]
  • 第一次大戦従軍の最後の仏兵士、死去
    [ 2008-03-13 19:40 ]
  • ラントス米下院外交委員長、死去
    [ 2008-02-13 20:16 ]
  • スハルト元インドネシア大統領、死去
    [ 2008-01-29 00:17 ]
  • エヴェレスト初登頂のヒラリー氏、死去
    [ 2008-01-12 01:47 ]
  • ヴラド・ツェペシュ公の末裔、死去
    [ 2007-11-22 22:00 ]
  • グエン・ヴェト氏、死去
    [ 2007-10-07 07:24 ]
  • 瀬島龍三氏、死去
    [ 2007-09-04 04:12 ]
  • ジョンソン元米大統領夫人、死去
    [ 2007-07-13 20:31 ]
野田昌宏大元帥が永眠
 訃報:SF作家 野田昌宏氏(自作汁生活)

Nippon2007実行委員会の顧問なさって下さいました、
SF作家・翻訳家の野田昌宏氏(本名:宏一郎 昭和8年8月18日)
が本日6月6日、午前6時15分、逝去されました。
 私はまだSFファンとしては初級者の中の初級者ですが、我が国のSF史に大元帥が遺された足跡の重みは知っているつもりです。そして実際に、シーフォートなどの翻訳を楽しませて頂きました。

 ……上手く言葉が出てこない。取り敢えず彼がNippon2007の成功を見届けられた事を、私はよかったと思う。星氏らはそれを見届けられなかった。

 ご冥福をお祈りします。貴方の魂が、いつまでも自由であるように。
by mukke1221 | 2008-06-06 22:09 | 訃報
アーサー・C・クラーク氏、死去
SFの巨匠、アーサー・C・クラークさんの生涯(AFP通信)

【3月19日 AFP】19日に90歳で死去した英国のSF小説の巨匠、アーサー・C・クラーク(Arthur C. Clarke)さんは、小説『2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)』などに見られる未来観などで、世界中の人たちの想像力をかき立てた。

 英国で生まれ、移住先のスリランカで半世紀以上を過ごしたクラークさんは、「エレクトロニック・コテージ」と呼ばれる建物内にこもり、モニター、無線、キーボードを通じて世界と交流した。

 1998年にはSF小説の巨匠としての地位を認められ、英国のエリザベス女王(Queen Elizabeth II)からナイトの称号を授与された。

 作家、海中探検家などのキャリアのほか、宇宙や科学の人気を高めることにも貢献したクラークさんは、作家として人の記憶に残ることを望み、1956年から住んでいた第2の故郷、スリランカの平和を願った。

 前年12月、クラークさんは「読者を楽しませた作家として、願わくは読者の想像力を広げた作家として思い出してもらえればうれしい」と語っていた。

 亡くなるときも新作『The Last Theorem』を執筆中だった。「『The Last Theorem』は予想よりずっと時間がかかっている。最後の小説になるかも知れないが、前にも同じことを言ったことがある」と前年語っている。

 クラークさんには、スリランカの平和、地球外生命の証拠、クリーンエネルギーの利用という、3つの願いがあった。

 ポリオの後遺症で30年以上車いすでの生活を強いられていたにもかかわらず、90歳の誕生日には「後悔することは何もなく、これ以上の個人的野心もない」としていた。

『2001年宇宙の旅』の脚本を共に書いた映画監督スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)との関係は切っても切れないが、クラークさんが最初に有名になったのは、第2次世界大戦中に静止衛星の設置条件を解明したときだ。この理論に対しては15ポンドの報奨金が支払われたが、現在では数十億ドル規模の価値がある。

「特許を申請していれば大金を稼げただろうと人々は言うが、(理論の内容が)自分が生きているうちに実現するとは考えもしなかったので、特許を取得しなかった」と語っている。

 1917年12月16日、イングランド西部マインヘッド(Minehead)の農家に生まれたクラークさんがSFへの興味を抱いたのは、1930年3月号の米SF雑誌「Amazing Stories」を読んだ、わずか12歳のときだった。

 英国惑星間協会(British Interplanetary Society)の初期のメンバーとなったほか、英国空軍の将校としてレーダーの開発に取り組み、戦後はロンドン大学キングスカレッジ(King's College, London)で物理学と数学の学位を取得した。そして1950年、小説を書き始めた。

 最初の作品はノンフィクションだったが、1953年に、5作目のSF小説『幼年期の終わり(Childhood's End)』が大絶賛されて経済的に自由になり、海中探検を開始した。これをきっかけにして1950年代にスリランカ(当時はセイロン)に移住し、コロンボ(Colombo)近くのHikkaduwaにダイビングスクールを開校した。

 クラークさんは1年のうち数か月を米ニューヨーク(New York)で過ごし、そこでキューブリック監督に出会った。『2001年宇宙の旅』のアイデアはバーで生まれ、キューブリック監督は脚本に取りかかる前に長編小説を書くよう、クラークさんに求めたという。

 作品の評価は当初まちまちだったが、すぐにSFの最高傑作としての地位を確立した。クラークさん自身も、静止衛星の理論、テレビシリーズ『スター・トレック(Star Trek)』にアイデアを与えたことと並び、人生で成し遂げた3大成果の1つと評している。

 専門知識と想像力にもかかわらず、科学界との関係はぎくしゃくしており、技術論文の大半は成人向け娯楽雑誌プレイボーイ(Playboy)に掲載された。

 クラークさんは未来に対する外挿(クラークさんは「予測」という単語を使わなかった)の中で、2030年までに人類がほかの惑星の知的生命体と交信すること、2090年までに不死の秘密が解明されることなどを予見している。

 80歳を越えても、『2001年宇宙の旅』の3つの続編『3001年終局への旅(3001: The Final Odyssey)』などを著した。

 著名人との交流も楽しんでいる。自宅には前ローマ法王故ヨハネ・パウロ2世(Pope John Paul II)、宇宙飛行士ニール・アームストロング(Neil Armstrong)、チャールズ皇太子(Prince Charles)などと撮った写真が飾られている。

 1953年には米国人Marilyn Mayfieldさんと結婚したが、半年で離婚している。


 SF界の巨匠が亡くなられた。
 妙な感慨をおぼえる。

 その死を悼むとか、惜しむといった感情も無論あるが、だがそれよりも見事な生への敬意を感じざるを得ない。
 ともかくも、彼が天国への軌道エレヴェーターに無事に乗っている事を祈る。
by mukke1221 | 2008-03-19 23:53 | 訃報
第一次大戦従軍の最後の仏兵士、死去
第一次世界大戦に従軍した最後の仏兵士が死去、110歳(CNN)

パリ(AP) 第一次世界大戦に従軍したフランス兵士が12日、パリ郊外の自宅で亡くなったと、退役軍人当局が発表した。110歳だった。フランス政府は17日に、国葬を予定している。

亡くなったラザール・ポンティセリさんは、1897年12月、イタリア北部ベットラ生まれ。辛い幼少時代から逃れるため、9歳の時に1人で近くの駅から列車に乗り、兄のいるフランスへわたった。

首都パリで、煙突掃除や新聞配達などの仕事についたが、16歳の時に第一次世界大戦が勃発。自分を受け入れてくれたフランスのために戦うと決め、年齢を偽って軍隊入りを志願したという。2005年の仏紙ル・モンドとのインタビューで、「(志願が)感謝を示す自分なりの方法だった」と語っている。

フランス軍の外国人部隊に加わり、アルゴンヌ地方で任務に。しかし、イタリアが参戦した1915年に、イタリアのアルプス連隊との連合部隊へ召集がかかり、隠れようとしたが見つかって、オーストリア戦線に送られた。

1921年にフランスへ戻り、兄と産業用煙突を作る企業を設立した、この会社は、フランスでも大手の重工業機器会社に成長。1939年にフランスの市民権を獲得し、それ以来、ずっとフランスで暮らしてきた。

サルコジ大統領は、国葬は「現在の欧州の平和を築いた、ポンティセリ氏とその世代の人々に、敬意を示すもの」と述べている。

イタリアのナポリターノ大統領も、最初はフランスのために、そしてイタリアのために戦ったポンティセリ氏は「義務を果たすことの重要さと、生まれ祖国と第2の祖国に献身した」と称え、その死を悼んだ。

一方、家族は国葬には戸惑いを見せている。「個人的な出来事にしておきたかった」と反しているが、ポンティセリ氏が生前、国葬に同意していたという。


 その人生に心から敬意を表する。

 こうしてあらゆる出来事は歴史になっていく。第一次大戦は、もうそろそろ完全な「歴史」になるだろう。

 そして第二次大戦も、いつかは。
by mukke1221 | 2008-03-13 19:40 | 訃報
ラントス米下院外交委員長、死去
ホロコースト生き延びた米下院議員のトム・ラントス氏死去(讀賣新聞)

【ワシントン=宮崎健雄】米下院外交委員長のトム・ラントス氏(民主)が11日、食道がんによる合併症のため、米メリーランド州の海軍病院で死去した。80歳だった。

 同氏はハンガリー出身のユダヤ系で、ナチス・ドイツ時代に強制収容所に送られたが、生き延びて、渡米。1980年にユダヤ人大虐殺(ホロコースト)から逃げ延びた唯一の議員としてカリフォルニア州から下院に初当選し、現在、14期目だった。

 人権派として知られ、いわゆる従軍慰安婦問題に関し、日本政府に公式謝罪を求める下院決議の採択を後押しした。


 様々な体験をしてきた老議員の死を心から悼む。
by mukke1221 | 2008-02-13 20:16 | 訃報
スハルト元インドネシア大統領、死去
インドネシアのスハルト元大統領が死去(讀賣新聞)

【ジャカルタ=佐藤浅伸】インドネシアで約32年の長期支配体制を敷いたスハルト元大統領が27日午後1時10分(日本時間同3時10分)、多臓器不全のため、ジャカルタの病院で死去した。86歳だった。

 今月4日から全身性浮腫(ふしゅ)や心機能の低下などにより入院していた。国葬は、中ジャワ州ソロ郊外の墓地で28日、ユドヨノ大統領が葬儀委員長を務め営まれる。

 スハルト氏は、陸軍戦略予備軍司令官だった1965年、親共産党系の青年将校らによるクーデター未遂とされる「9・30事件」を鎮圧し、同国政治の枢要勢力である国軍を掌握。66年にスカルノ初代大統領から実権を奪い、68年に第2代大統領に就任した。

 国内では開発と治安維持を優先する「開発独裁」を主導。日本など海外からの援助と直接投資を軸とする経済開発で80年代の高度成長を実現させ、「開発の父」と呼ばれた。対外的には反共姿勢を打ち出し、東南アジア諸国連合(ASEAN)でも指導的役割を果たした。

 しかし、政権の長期化に伴い、一族の不正蓄財疑惑などへの批判が噴出。97年のアジア通貨危機で経済が低迷すると、国民の不満が民主化要求の形で爆発し、7選を果たした2か月後の98年5月に退陣した。

 2000年8月には、最大350億ドル(約3兆7400億円)に上るとみられる不正蓄財で起訴されたが、スハルト氏は「健康悪化」を理由に出廷を拒否。検察は06年5月、刑事訴追の中止を決めたが、07年7月に民事訴訟を起こし、不正蓄財資金の国庫返還と損害賠償を求めていた。


スハルト元大統領の国葬、インドネシア中部の一族墓所で(讀賣新聞)

【ジャカルタ=佐藤浅伸】27日に死去したインドネシアのスハルト元大統領の国葬が28日午前、中ジャワ州ソロ近郊にある一族の墓所アスタナギリバングンで行われる。

 ユドヨノ大統領が葬儀委員長を務め、スハルト政権時代と現政権の新旧閣僚、日本の海老原紳・駐インドネシア大使ら各国外交団代表ら約1500人が参列。遺体は元大統領の遺志に従い、シティ・ハルティナ夫人の墓の隣に埋葬される。

 元大統領の遺体は28日早朝、ジャカルタ東部のハリム空港から軍用機で空輸された。地元テレビ各局が、ジャカルタ中心部の私邸から空港まで遺体が移送される様子を生中継した。


 インドネシアの「戦後」を代表する人物の死を悼む。
 これで彼は本当に「歴史」になった。
by mukke1221 | 2008-01-29 00:17 | 訃報
エヴェレスト初登頂のヒラリー氏、死去
エベレスト初登頂のエドモンド・ヒラリー氏死去(朝日新聞)

 世界最高峰エベレスト(中国名チョモランマ、8848メートル)に初登頂した登山家のエドモンド・ヒラリー氏が11日、ニュージーランド北島オークランドの病院で死去した。88歳だった。ニュージーランドのクラーク首相が同日、発表した。死因は明らかにされていないが、ネパール訪問中の昨年4月に体調を崩し、療養中だった。クラーク首相は「ヒラリー氏は我が国の偉人で英雄であり、国民全員が深く彼の死を悲しんでいる」と悼んだ。

    ◇

 オークランド近郊のツアカウ生まれ。家業の養蜂業を手伝いつつ、地元の山々に登った。

 英国の第9次エベレスト遠征隊に参加していた53年5月29日未明、ネパール人のシェルパ、テンジン・ノルゲイ氏(86年に死去)と8500メートルの最終キャンプからアタックをかけた。後に「ヒラリーステップ」と名付けられる山頂直下の垂直に近い約12メートルの岩場の難所を乗り越え、同日午前11時半、史上初めて世界最高地点に到達した。

 2人の登頂成功はエリザベス女王の戴冠(たいかん)式前夜にロンドンに伝えられた。同年7月、英国王室からナイトの称号を授与された。

 エベレスト登頂後は、トラクターでの南極点到達やネパール奥地での雪男捜索などの探検も行った。85年からはニュージーランドの駐インド、ネパール大使も務めた。

 エベレスト登頂を助けてくれたシェルパたちとの交流も続け、「ヒマラヤ基金」を設立。シェルパの住むエベレストの南方にあるネパールのクンブー地方に学校や病院を建設する活動にも力を入れた。登山者の増加でヒマラヤの環境破壊が進んだことに心を痛め、自然保護についても晩年まで積極的に発言を続けた。


 偉大な登山家の死に黙祷を送る。
by mukke1221 | 2008-01-12 01:47 | 訃報
ヴラド・ツェペシュ公の末裔、死去
ドラキュラの「子孫」が死去=独立宣言などで話題に-独(時事通信)

【ベルリン21日時事】アイルランドの作家ブラム・ストーカーが描いた吸血鬼ドラキュラのモデルとされるブラド公の「子孫」、オトマル・ロドルフェ・ブラド・ドラキュラ・プリンツ・クレツレスコ氏が17日、ドイツ東部の町で死去した。67歳だった。脳腫瘍(しゅよう)を患っていたという。ドイツ紙が21日報じた。

 同氏はブラド公と血のつながりはなく、子供がいないため家系の断絶を懸念した同公の女性子孫と1990年に養子縁組した。

 その後、独東部シェンケンドルフに広大な敷地の邸宅を購入し、献血パーティーや野外コンサートなどドラキュラにちなんだ企画を打ち出して観光客を誘致。2002年には「ドラキュラ公国」の独立を宣言するなど、たびたび話題を提供した。

 地元紙によれば、同氏には幼い息子がおり、ドラキュラの家系は続くという。


 ご冥福をお祈りします。

 それにしても、不謹慎かもしれんが複雑怪奇な家系だな。
 まずその「幼い息子」の出所が知りたい。
by mukke1221 | 2007-11-22 22:00 | 訃報
グエン・ヴェト氏、死去
<訃報>グエン・ベトさん26歳=ベトナム結合双生児の兄(毎日新聞)

【バンコク藤田悟】ベトナム戦争中に米軍がまいた枯れ葉剤の影響とみられる結合双生児の兄として生まれたグエン・ベトさんが6日、ホーチミン市のツーズー病院で死去した。26歳だった。「ベトちゃん、ドクちゃん」の愛称で親しまれるとともに、枯れ葉剤被害が日本でも注目される大きなきっかけとなった。

 脳障害のため同病院で寝たきりの生活を送っていたが、今年5月末ごろから肺炎などを発症して体調が悪化していた。

 ベトさんは81年、ベトナム中部の農村で、弟のドクさんと下半身がつながった状態で生まれた。86年にはベトさんが急性脳症を発症し、特別機で日本に移送されて治療を受けた。

 88年に日本の医師も協力してツーズー病院で分離手術に成功。ドクさんは松葉杖を使って歩けるまでになったが、ベトさんは同病院で入院生活を続けていた。

 ドクさんは昨年12月に結婚し、同病院でコンピューター事務の仕事に従事している。

 ◇弟ドクさん自ら支援者らに連絡

 ツーズー病院で3年前から日本語ボランティアをしている西村洋一さん(65)によると、ベトさんは6日午前1時半ごろ、肺炎で亡くなったという。一報は弟のドクさんからあった。「ドクさんは一心同体だった兄の死を悲しむ余裕もなく、これまで支援してくれた日本やベトナム国内の団体、報道機関などにまず連絡しなければと、夜が明けてもずっと忙しそうにしている」という。

 ベトさんは約4カ月前から、肺炎や血尿などの悪化で集中治療室(ICU)と普段の病室を出入りする緊迫した病状が続き、かなりやせていたという。「これまでも年1回ほど、病状悪化はあったが、今回は長いと心配していた」と西村さん。しかし、死の直前まで顔色は良く食欲もあり、5日昼に姉に会った際も「今日は元気よ」と言われたばかりだったという。

 分離手術の88年から来年で20周年。西村さんは「病院は少ないスタッフを工面して必死に看病していた。枯葉剤の被害の『生き証人』として、兄弟を長く生き続けさせることに医師らは力を入れていた」と話す。ベトさんは分離手術後も、重い脳障害で寝たきりだったが、西村さんは「昨年6月ごろ、ドクさんの婚約時にみんなで記念写真を撮ったが、ベトさんは弟の人生の節目を感じ取っている表情だった。本当に頑張ってよく生きたと思う」と話している。

 一方、「ベトちゃんとドクちゃんの発達を願う会」事務局長の河原正実さん(59)=福井県若狭町=は訃報(ふほう)を聞き、「ドクさんとの分離手術をしてから来年で20年になる。会のメンバーらと何かお祝いをしなければと話していたところだっただけに残念」と話した。

 河原さんが2人に初めて会ったのは、分離手術の2日後の88年10月6日。河原さんは、ホーチミン市のツーズー病院のベッドに横たわるベトさんに「ベト、ベト」と何度も呼びかけた。ベトさんは86年に急性脳症になった後遺症で返事はしなかったが、河原さんの手を握り返したという。手術後、ベトさんが感染症にかかる度に、河原さんらは医薬品を送った。最後に会ったのは5年前。ベトさんは、河原さんらが贈った車椅子に乗ってシャワーを浴びる際、笑顔を見せたという。

 河原さんは「容体が芳しくないと聞いていたので、半分覚悟していた。でもよく頑張って生きてきたと思う」と語った。【山田大輔、樋口岳大、山田奈緒】


 枯れ葉剤については異論があるが、とにかく、数奇な人生を歩まれた一人のヴェトナム人の冥福を祈る。
by mukke1221 | 2007-10-07 07:24 | 訃報
瀬島龍三氏、死去
瀬島龍三氏が死去 元伊藤忠商事会長 95歳(産経新聞)

 旧大本営陸軍部参謀で、戦後は臨時行政調査会(臨調)や、臨時行政改革推進審議会(行革審)などの委員を歴任した、元伊藤忠商事会長、瀬島龍三(せじま・りゅうぞう)氏が4日午前0時55分、都内の自宅で老衰のため死去した。95歳だった。富山県出身。葬儀・告別式等詳細は未定。

 陸軍大学校卒。昭和14年、大本営陸軍部参謀、のちに同海軍参謀兼務(作戦課)。敗戦と同時に旧ソ連に11年間抑留され、31年8月帰国。33年1月伊藤忠商事入社。53年6月同社取締役会長、56年6月相談役、62年7月から特別顧問、平成12年に退任。

 昭和50年代から日本商工会議所特別顧問、東京商工会議所副会頭など財界の要職のほか、臨調、新・旧行革審議会の委員を務め、“小さな政府”づくりに尽力した。また、平成3年9月には外相の諮問機関・外交強化懇談会の座長に就任し、日本の外交政策のあり方をまとめた。


 日本国家を陰から支えた人物の死を、心から悼む。
by mukke1221 | 2007-09-04 04:12 | 訃報
ジョンソン元米大統領夫人、死去
ジョンソン米元大統領夫人が死去、94歳 環境保護の旗振り役(産経新聞)

【ワシントン=山本秀也】環境保護など活発な社会活動で、米国の現代女性史に名をとどめたジョンソン米元大統領(民主党、在職1963~69年)の夫人、クラウディア・ジョンソンさんが、11日午後(日本時間12日早朝)、老衰のため米テキサス州オースティンの自宅で死去した。94歳。存命中のファーストレディー経験者では最高齢だった。

 親族側の発表によると、ジョンソンさんは6月末、微熱などの症状で地元の病院に約1週間入院し、その後は自宅に戻っていた。2002年以降は言語に障害が出るなど、晩年は健康状態がすぐれなかった。

 「レディーバード」(てんとう虫)の愛称で親しまれたジョンソンさんは、ホワイトハウス時代に首都の環境整備で旗振り役を務めたほか、全米の幹線道路に緑地帯設置を定めたハイウエー美化法の制定を推進。ベトナム戦争の処理に追われるジョンソン政権で、国土美化運動や児童福祉の政策を積極的に進めた。

 夫の選挙応援にとどまらない政治貢献を果たしたファーストレディーとして、ジョンソンさんはフランクリン・ルーズベルト元大統領のエレノア夫人と並び称されてきた。1973年に夫と死別すると、テキサス州の環境保護に取り組んだ。ペロシ下院議長は、追悼の談話で、「米国で最も偉大な、当時としては最初の環境活動家だった」と功績をたたえた。

 歴代ファーストレディーの最長寿記録は、82年に97歳で死去したベス・トルーマンさんで、ジョンソンさんは2位。今回の死去にともない、ファーストレディー経験者の最高齢はベティ・フォードさん(89)となった。


 奮闘されたファースト・レディーに、敬礼。
by mukke1221 | 2007-07-13 20:31 | 訃報