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カテゴリ:歴史・世界遺産
ユネスコ無形遺産に「雅楽」など14件、文化庁が記載提案へ(讀賣新聞)
文化庁は30日、来年9月に決定する国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産の代表一覧リストに、雅楽や京都祇園祭の山鉾(やまほこ)行事など14件の記載を提案することを決めた。 一昨年発効したユネスコの無形文化遺産保護条約に基づくもので、今回が第1回。すでに「人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣言」に選ばれている能楽、人形浄瑠璃文楽、歌舞伎は無形文化遺産に統合される。 無形文化遺産は、「普遍的な価値」を審査のポイントとする世界遺産と違い、世界的に一層認知されることを目的としており、専門機関による価値評価は行われない。このため、14件は書式の審査だけで、傑作宣言の3件とあわせて、計17件がユネスコ政府間委員会で無形文化遺産に決まる見通しだ。 提案候補は、重要無形文化財、重要無形民俗文化財、選定保存技術の各分野からそれぞれ、指定時期が早いものから順に選び、さらに地域バランスも考慮した。また、日本文化の多様性を示す観点から、1984年に重要無形民俗文化財に指定されたアイヌ古式舞踊を含めた。 同時に、ほかの重要無形文化財、重要無形民俗文化財、選定保存技術300件の目録を作成し、来年以降、同様の選考基準で無形文化遺産として提案する。いずれも団体が対象となっており、個人で選定されている場合、提案候補とするかどうかは、今後検討する。 提案候補は次の通り 【重要無形文化財】雅楽(宮内庁式部職楽部)▽小千谷縮(おぢやちぢみ)・越後上布(じょうふ)▽石州半紙(ばんし)【重要無形民俗文化財】日立風流物(ふりゅうもの)▽京都祇園祭の山鉾行事▽甑(こしき)島のトシドン(鹿児島県薩摩川内市)▽奥能登のあえのこと▽早池峰(はやちね)神楽(岩手県花巻市)▽秋保(あきう)の田植踊(仙台市)▽チャッキラコ(神奈川県三浦市)▽大日堂舞楽(秋田県鹿角市)▽題目立(たて)(奈良市)▽アイヌ古式舞踊【選定保存技術】木造彫刻修理(美術院) >専門機関による価値評価は行われない ……世界遺産登録時に行われる厳格な評価に慣れていると、この措置には首を傾げてしまうが、ここが無形遺産制度の特色なのだろうか。確かに無形遺産の価値評価は難しい問題だから、取っ払ってしまおうというのは理解できる。 また、一気に14件を登録しようというその計画にも驚いたが、よくよく考えればここでも世界遺産との性格の違い、また、有形の遺産と無形の遺産の違いが滲み出ている。無形遺産の保護及びその為の認知は、大半の有形文化財のそれと違って緊急の課題なのだ。今回は特に制度の草創期であるから、一度に多くの遺産が登録されるというのは喜ばしい事だ。ただ、アイヌの文化が入った事はいい事だが、できれば沖縄のものも入れて欲しかった。 世界無形遺産制度が順調に発展する事を祈る。それによって世界の多くの無形の文化が守られ、次代に伝えられていく事も。 さて、ケベックで2日から開催されていた今年の世界遺産委員会は、10日に無事終了していました。今更ですが纏めのようなものを。
まず、今年の登録物件については以下を参照して下さい。 2008年 新登録物件等の情報(世界遺産資料館) ヴァヌアツ、サウディ・アラビア、サン・マリノ、パプア・ニュー・ギニアの4ヵ国は、初めて世界遺産を保有した事になります。特にオセアニア地域から2ヵ国が新しく保有国の列に加わった事は、多様性という観点から見て大きな成果です。 さて、今年、最も注目された事といえば、平泉……ではなく、「ドレスデン・エルベ渓谷」がリストに留まるのかどうか、でした。 これについては私のエントリをご覧下さい。 第32回世界遺産委員会、ドレスデンが抹消免れる 次に、日本限定で注目されていた「平泉」ですが、これに関してはICOMOSの評価の段階でかなりのダメ出しを食らっており、昨年奇蹟的に「石見銀山」が登録された事から楽観論も囁かれはしましたが、大方の予想通り落選しました。 残念ですが、妥当な評価だったと言わざるを得ません。2010年の委員会に向けて頑張って欲しいと願います。 詳しくは以下のエントリを。 ICOMOS、平泉を「登録延期」に 平泉登録延期勧告、再度の逆転はなるか 第32回世界遺産委員会、平泉が落選 さて、実はこれは平泉だけの問題に留まりませんでした。我が国はこれまで、推薦した物件は一発で登録へと導いてきました。しかし今回その実績が崩れた事で、他の国内物件にも動揺が広がっているほか、文化庁も候補物件選定のやり方を改める方針を打ち出しました。例えば、国立西洋美術館を除けば平泉の次に文化遺産として登録される筈だった鎌倉が、推薦の延期を要請しています。 世界遺産への推薦要請延期 「武家の古都」鎌倉(news47) 「武家の古都」として世界遺産登録を目指す神奈川県鎌倉市と関係自治体などがつくる協議会は29日、2008年度に文化庁に行う予定だった国連教育科学文化機関(ユネスコ)への登録推薦要請の延期を決めた。以下は文化庁の方針についてです。 文科相「世界遺産の国内公募見直しも」(朝日新聞) 岩手・平泉の世界遺産への登録見送りを受けて、渡海文部科学相は7日、「世界遺産の考え方が大きく変わりつつあり、全体の戦略を見直す必要がある」と話し、自治体から世界遺産の候補地を公募する現在の手法についても見直す意向を示した。公募は全国津々浦々から、多彩な候補物件が集まる面白い試みだったのですが、それも白紙に戻される事になるのかもしれません。「平泉ショック」は意外と大きいようです。 ですがどうか、これに過剰に反応しないで欲しい、と思うのです。落選するのはある意味当然の事で、イタリアも中国もスペインもドイツもイギリスもロシアもアメリカもメキシコも落選を経験してきました。それは何処にだってあるんです。だから、これで萎縮する事なく、どんどん新しい物件を推薦していって欲しい……そう思います。 次々と新規登録物件が発表されました。拡大登録物件はまた後日。
アイスランド:スルスェイ アイスランドの南海岸から32キロ沖合に浮かぶ火山島であるスルスェイは、1963年から1967年にかけて噴火した。数多くの地質学的発見が得られるこの島は、科学者たちに天然の実験室を提供している。 イェメン:ソコトラ群島 ソコトラ群島はアデン湾の近くにあり、250キロの長さのソコトラ島と2つの岩礁からなる。825種の植物の内37%、爬虫類の90%、陸棲巻き貝の95%が固有種という生物多様性は普遍的重要性を持つ。 イタリア:マントゥアとサッビオネタ 北イタリアのポー渓谷に位置する両都市は、ルネッサンス期の都市計画の顕著な例を示している。両都市の建築と、彼らがルネッサンス文化で演じた役割は非常に重要なものだ。サッビオネタは、ルネッサンスを彩ったゴンザガ家の縁の地でもある。 イタリア/スイス:アルブラのラエティア鉄道/ベルニナ文化的景観 この鉄道は、スイス・アルプスに引かれた歴史的なものだ。1904年に開通したアルブラ線は、67キロの中に42のトンネルと144の陸橋が構成する独特な景観を作っている。ベルニナ峠線は61キロの中に13のトンネル、52の陸橋がある。 カザフスタン:サリャルカ――カザフスタン北部の草原と湖沼 ナウルズム国立自然保護区とコルガルジュン国立自然保護区からなるこの地域は、世界規模で脅かされている渡り鳥の飛来する場所として非常に貴重である。 カナダ:ジョギンズ化石崖群 カナダ東部、ノヴァ・スコシアにあるこの崖は、「石炭紀のガラパゴス」とも呼ばれる。この崖で産出する化石は地球上の生物について多くの知見をもたらしてくれる。 カンボジア:プレア・ヴィヒーア寺院 タイとの国境に位置するこの寺院は、11世紀、シヴァ神の聖域に建立された。石で作られた装飾は特に優れたものである。 キューバ:カマグエイの歴史地区 この街は、キューバに最初に建設された7つのスペイン人村のうちの1つである。現在の位置に定まったのは1528年で、中南米の植民地建築の中でも特に優れたものだ。この街にはアール・デコ、新古典様式、アール・ヌーヴォーなどの建築様式が見られる。 クロアチア:スタリ・グラド平野 この平野は、アドリア海に浮かぶフヴァール島において文化的景観を形成している。ここには紀元前4世紀、パロスからイオニア系ギリシア人が植民し、彼らが建設した石壁、シェルターなどがこの島の景観に独自性を与えている。 ケニヤ:ミジケンダ・カヤの聖林 ミジケンダの人びとによって聖地として崇められ、長老会議によって管理されるこれら11の森林は、そのユニークな生ける伝統と密接に関係している。 サン・マリノ(初登録):サン・マリノ歴史地区とティターノ山 中世以来自由都市として独立を保ってきたサン・マリノの歴史地区と、ティターノ山を含んだ55ヘクタールが今回登録された。市街には14世紀から19世紀までの要塞、門、塔などといった建築が遺されている。 スイス:スイス構造界Sardona 3万2850ヘクタールの面積と、3000メートル級の7つの峰を有するこの物件は、大陸の衝突による山地形成の、優れた地質学的例証である。 スロヴァキア:カルパティア山地のスロヴァキア側の木造教会群 16世紀から18世紀にかけて、この地域の貧しい村々に築かれた2つのカトリックの教会、3つのプロテスタントの教会、そして3つの正教の教会が今回登録された。これらは、ラテン文化とビザンツ文化が出逢う地に伝えられた伝統をとても良く保存している。 中華人民共和国:三清山国立公園 この地には、48の花崗岩の峰と89の花崗岩の柱が集中し、特徴ある景観を作り出している。それらの内の幾つかは人や動物のようにも見え、その美しさは広く知られている。 ドイツ:ベルリン近代様式集団住宅群 1910年から1933年にかけての、革新的な住宅政策の結果として建てられた6つの集合住宅は、タウトやグロピウスらが指揮を執ったものである。 パプア・ニュー・ギニア(初登録):クック初期農業遺跡 この遺跡は、海抜1500メートルの、ニュー・ギニア南部高地にある116ヘクタールの沼地である。そこではおよそ6500年前の農業技術の痕跡などが発見されている。 フランス:ヴォーバンの要塞群 フランスの西方、東方、北方国境に建造された13の防御用建築物は、ルイ14世に仕えたヴォーバン(1633~1707)の作品の典型例である。彼の技法は欧州のみならず、アメリカ大陸、ロシア、東アジアにも影響を与えた。 フランス:ニュー・カレドニアの潟――堡礁多様性とそれに結びついた生態系 世界三大珊瑚礁の内の一角である仏領ニュー・カレドニアの堡礁は、世界に類を見ない生物多様性を有する。 マレーシア:メラカとジョージ・タウン、マラッカ海峡の歴史都市群 マラッカ海峡での500年以上にも及ぶ東西交易の影響が、これらの街に多文化的遺産を残した。メラカは15世紀のスルタン統治下に、ジョージ・タウンは18世紀の大英帝国支配下に起源を遡る事ができる。 メキシコ:モナルキ蝶生物圏保護区 メキシコ・シティから北西に100キロ行った所にある、面積5万6259ヘクタールのこの保護区には、北米から百万から一千万にのぼる蝶の群れが飛来する。彼らはそこで数ヶ月を過ごした後、またカナダ東部へと戻っていくのだ。 メキシコ:サン・ミゲルの保護都市とイエズス・デ・ナザレノ・デ・アトトニルコの聖域 この要塞化された都市は、16世紀に王領防衛の為に建設された。また、市街には18世紀のメキシカン・バロック様式の建築がある。 さて、カナダはケベックで開催中の世界遺産委員会、続々と新登録が発表されました。
※7/9、登録基準を追記、リンクを変更 イラン:イランにおけるアルメニア正教の修道院建築群 登録基準:ⅱ)ⅲ)ⅵ) イラン北東部の3つのアルメニア正教の修道院が今回登録された。聖タデウス修道院、聖ステファノス修道院、Dzordzorの礼拝堂がそれである。最も古い聖タデウス修道院は7世紀にまで遡る事ができる。これらは、東方正教、ペルシア、アゼリ人など、多くの文化が交わる地点に遺された貴重な遺産だ。 サウディ・アラビア(初登録):アル=ヒジルの考古遺跡(マダイン・サーリフ) 登録基準:ⅱ)ⅲ) ヨルダンのペトラ南方にある、最大級のナバタイ人の遺跡がアル=ヒジルである。紀元前1世紀から紀元後1世紀にかけての、良く保存された墳墓やファサードを誇る。またこの遺跡は、ナバタイ以前の50にものぼる碑銘、洞窟絵画でも特徴づけられる。この遺跡はナバタイ人の技術水準を知る上で非常に有益なものだ。 中華人民共和国:福建土楼 登録基準:ⅲ)ⅳ)ⅴ) 福建省の、12世紀から20世紀にかけて建てられた46の家屋は、コメ、茶、タバコなどの畑の中に佇んでいる。円形の広場を伴ったその家には、それぞれ数百人もの人が住める。それらは「家族の為の小さな王国」や、「ミニチュア都市」などとして知られている。最も凝った構造を持つのは、17世紀から18世紀にかけて建てられたものだ。 モーリシャス:ル・モーンの山 登録基準:ⅰ)ⅵ) ル・モーン文化的景観は、モーリシャスの西南、インド洋にそそり立つ険しい山である。18世紀から19世紀にかけて、ここはその近づきにくさから逃亡奴隷たちが居住区を築いた。アフリカ本土やマダガスカル、インド、東南アジアから逃げてきた奴隷たちが暮らしたのがこのル・モーンである。 訳が超訳になっているのはご容赦下さい(汗)。 さて、今回、最大の懸念事項だった「平泉」ですが……我が国で初めて、「登録延期」という判断が下されました。15回目にして最初の登録失敗です。 特集 第32回世界遺産委員会報告(TBS THE 世界遺産) 19時57分。平泉の登録審議が始まった。ICOMOSのプレゼンテーションに続いて、委員国が次々に発言する。その中味は明らかに出来ないが、12カ国の委員国が意見を述べたり、質問を行ったりした。審議が続くことおよそ40分。ついに、世界遺産委員会としての結論が下された。事前に十分予測されていた事でしたが、それでも残念という気持ちが拭えません。昨今の登録基準厳格化の流れの中で(※1)、普遍的価値の証明も十分にできぬままこの日を迎えてしまいました。 ですがこれは、日本に与えられた貴重な教訓です。今まで我々は失敗を知りませんでした。それだけに、最初の失敗例である平泉から学ぶ事は沢山ある筈です(※2)。同時に安易な、村興しのレヴェルを出ない世界遺産運動などは淘汰されゆくでしょう。そういった意味でも、これをいい機会にしたいと考えます。 議論を尽くしましょう。世界遺産登録で、最終的に何を目指したいのか。世界遺産に登録されないとしたら、その文化財や自然に価値はなくなるのか。世界遺産の意義とは奈辺にあるのか。我々は本当に世界遺産を欲しているのか。本気で欲するならば、どのようなストーリーを組み立てればいいのか――今まで、上記のような真剣な議論はどこでも行われてきたでしょう。しかしこの登録失敗という衝撃は、今までになく議論を活性化させてくれるに違いありません。平泉にとっても、苦しい理由で登録されるよりは望ましい結果だろうと思います。 これを機に、国民の多くが世界遺産の理念に触れ、その豊穣さを感じとってくれる事を祈りつつ、今日はこの辺りで失礼します。多くの遺産が新規登録される事を願って。 【追記】 世界遺産 「福建土楼」など新たに3件を登録(AFP通信) ※1 15年前だったら確実に登録されていただろうと思う。 ※2 そういった意味において、私は去年、石見銀山に登録されて欲しくなかったのだ。
World Heritage Committee keeps Dresden Elbe Valley on UNESCO World Heritage List, urging an end to building of bridge(World Heritage Centre)
The World Heritage Committee has decided to retain Dresden Elbe Valley on UNESCO World Heritage List in the hope that the building of a four-lane bridge across the valley will be stopped and work undertaken to reverse damage caused to the integrity of the landscape of the German site.意外な結果になりましたが、ひとまずは良かったと言っておきます。私は以前から、今年「ドレスデン・エルベ渓谷」は世界遺産リストから抹消されるだろうし、また、そうされるべきである、と主張してきましたが(※1)、その予測が外れた事を取り敢えず喜びます。 ただしこれは素直に喜ぶべき結果ではありません。何故なら、世界遺産委員会は単にドレスデン市当局に猶予を与えたに過ぎないからです。 The Committee said it regretted the construction of the bridge underway and urged the authorities to opt for the digging of a tunnel in its stead. It said that in the event that the construction of the bridge was not stopped and damage reversed, the property would be deleted from the World Heritage List in 2009. Meanwhile the property remains on the Danger List.委員会は橋梁建設の代替案として、トンネルの建設を提案しています。そして仮にその勧告が容れられず、ドレスデンの景観が破壊されるならば、来年改めてリストから抹消される、というだけの話のようです。実際、状況が好転した訳ではない事を示すように、ドレスデンは危機遺産リストに留め置かれたままになっています。 委員会は、ドイツがドレスデンをどのように遇するかを注視し、その上で来年、処分を決する構えでしょう。かつてケルンは同じような勧告を受けながらも抹消だけは免れました。しかし今度は、前年度の「アラビアオリックスの保護区」抹消という「先例」があるだけに、抹消は現実味を強く帯びています。更に言えば、ケルンの登録対象は「大聖堂」でしたが今回は「流域の文化的景観」です。景観破壊に関するリアクションは、ケルンの時よりも大きなものになるでしょう。事実上、これが委員会からの最終通告と考えて差し支えないと思います。 ドレスデンが抹消の危機に晒されたというのは、繰り返しますがドイツだけの問題ではありません。世界中で、利便性追求の結果文化財が失われつつあるという現状があります。そのような現状に歯止めをかける為の警告という意味も込められていた事でしょう。鞆の浦開発を巡る問題などを抱える我が国にとって、これは決して他人事ではありません。これを機に、我が国の開発の在り様が変わる事を願います。 ※1 以下の記事を参照。「第31回世界遺産委員会まとめ」、「エルベ架橋工事始まる、ドレスデンの登録抹消の恐れも」、「第32回世界遺産委員会迫る、今年の動向は?」。 平泉・世界遺産へ向けて:文化庁、延期勧告に反論 補足情報概略を公表 /岩手(毎日新聞)
◇委員各国へ働きかけ 世界遺産委員会で逆転登録を目指す「平泉の文化遺産」で、文化庁は27日、委員各国への働きかけに使う「補足情報」の概略を公表した。内容は、国際記念物遺跡会議(イコモス)が延期勧告で指摘した主な7項目への反論がベース。英文約50ページ(写真など含む)となった。 平泉と浄土思想の関連が世界的な意義を持つかについては、平泉が世界平和の希求を理念に造営されたことを挙げ、「ユネスコ憲章の精神にも通ずる」と反論した。 また、浄土思想の観点から推薦資産の範囲を再検討すべきだとの指摘には「政治・行政上の拠点として信仰、行政、防衛などの機能を含む平泉の九つの構成資産が緊密に関連している」とし、浄土庭園以外の柳之御所遺跡(行政)や白鳥舘遺跡(防衛)なども平泉の「浄土思想」の繁栄に欠くことのできない要素であると強調した。 この他、骨寺村荘園遺跡と浄土思想については「荘園と中尊寺が宗教的な行事で結びついており、荘園と浄土思想との関係も説明できる」、他地域の同種遺産との比較研究が十分でないとの指摘には「中国や韓国には同時期の浄土庭園が残っておらず、他時代の事例をみても平泉の浄土庭園とは全く異なるデザインだ」と説明した。 政府は別途、イコモスの事実誤認を指摘する文書を26日付で委員会議長国のカナダに提出した。世界遺産委員会は7月2~10日にカナダで開かれ、平泉の審査は6~7日ごろとなる見通し。【念佛明奈】 >「ユネスコ憲章の精神にも通ずる」 憲章の精神なんて関係ない。平和の希求は確かに普遍的な概念だとは思うが、義経を匿って戦乱の内に滅びた平泉にそれを適用しようとするのはいかにも苦しい。 >「政治・行政上の拠点として信仰、行政、防衛などの機能を含む平泉の九つの構成資産が緊密に関連している」 >「荘園と中尊寺が宗教的な行事で結びついており、荘園と浄土思想との関係も説明できる」 理解できなくもないけど、やっぱり苦しいなぁ。寺院のみに絞ればよかったのに。だいたい防衛施設も含むって…… ……このままじゃ、平泉は無理だろうな。可哀想だけど。 カンボジア遺跡の世界遺産申請、タイが態度軟化(newsclip.be)
【カンボジア、タイ】カンボジアがタイ国境に近い山上にあるクメール時代のヒンドゥー遺跡「プレアビヒア(タイ名、カオプラウィハーン)」の世界遺産登録を目指していることに対し、タイのサマック首相は4日、周辺地域を含まないことを条件に登録申請を支持する考えを示唆した。 プレアビヒアはタイとカンボジアが領有権を争い、1962年に国際司法裁判所がカンボジア領とする判決を下した。この裁判でタイにしこりが残った上、タイ側からしかアクセスが困難という地理的なねじれもあり、両国間の火種となっている。 サマック首相は3、4日にカンボジアを訪問した際に、同国のフン・セン首相らとこの問題について話し合い、遺跡本体はカンボジアが単独で、周辺地域はタイとカンボジアが共同で管理することで原則合意。両国の軍、外務省が今後詳細を詰める予定という。 カンボジアは9―13世紀にかけインドシナ半島で最大規模の王国だったが、14世紀以降はタイやベトナムの侵略に苦しみ、文化財や国民を奪い去られた。こうした経緯から反タイ感情が強く、2003年には、タイ人女優が「(カンボジアの世界遺産)アンコールワットはタイのもの」と発言したという報道をきっかけに、大規模な反タイ暴動が起こり、プノンペンのタイ大使館やタイ企業のオフィスが焼き打ちに遭うなどした。 隣国の世界遺産申請で紛糾 タイ政局の新たな争点に(北海道新聞) カンボジア遺跡の世界遺産申請、タイで反発強まる(newsclip.be) 【タイ】タイ行政裁判所は28日、タイ国境に近いカンボジア領内の山上にあるヒンドゥー遺跡「プレアビヒア(タイ側呼称、カオプラウィハーン)」の世界遺産登録申請に対するタイの支援を、「今後の国境交渉に影響を与える恐れがある」として、停止するよう命じた。タイ政府が進めたカンボジアとの協調路線がつまづいた格好で、タイの反政府勢力や野党民主党はノパドン外相の解任を求めるなど攻勢を強めている。 プレアビヒアはクメール王国が11―12世紀に建立したとされる寺院遺跡。タイとカンボジアが領有権を争い、1962年に国際司法裁判所がカンボジア領とする判決を下した。しかし、がけの上にありタイ側からしかアクセスが困難な上、周辺の国境が未画定のままで、現在も両国間の火種となっている。 両国政府は今回、カンボジアが周辺地域を除くプレアビヒア本体のみを世界遺産に申請することで合意し、18日に共同コミュニケに調印した。これを受け、カンボジアは7月2日からカナダのケベックで開催される世界遺産委員会でプレアビヒアの登録を申請する予定だ。 しかし合意条件に対し、タイの反政府団体「民主主義のための市民同盟 (PAD)」や民主党は交渉の過程でタクシン元タイ首相のカンボジアでのビジネス権益と引き換えにカンボジア側に有利な国境画定を飲んだなどとして、タイ政府を批判。PADが行政裁に合意内容を認めた閣議決定の破棄を求めていた。また、民主党は世界遺産委員会にプレアビヒアの登録申請を許可しないよう求める陳情書を提出する方針だ。 タイではアンコールワットやプレアビヒアをタイのものだとみなす人も多く、今回の合意には学界や王族、上院からも批判が高まっている。タイ側の反対運動を受けカンボジアは23日にプレアビヒアの一般参観を中止、27日には同国のハオ・ナムホン外相が「タイの野党がプレアビヒア問題を国内政局に利用している」と批判した。民主党がこれに反論するなど、両国関係にも波風が立っている。 タイは文化や言語の相当部分をカンボジアから輸入したが、こうしたことは一般的にはあまり知られておらず、国力が衰えたカンボジアを見下す傾向が強い。カンボジアではタイ側の態度、優越感に対する反感が強く、2003年にはタイ人女優が「アンコールワットはタイのもの」と発言したという報道をきっかけに、大規模な反タイ暴動が起き、プノンペンのタイ大使館やタイ企業のオフィスが焼き打ちに遭うなどした。 タイ野党、カンボジア遺跡の世界遺産申請に反対(newsclip.be) 【タイ】タイの野党民主党は30日、タイ国境に近いカンボジア領内の山上にあるヒンドゥー遺跡「プレアビヒア(タイ側呼称、カオプラウィハーン)」の世界遺産登録に反対する陳情書を国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)のバンコク事務所に提出した。アピシット民主党首は、「登録自体に反対するわけではないが、環境が整っていない」と主張している。 一方、タイの上院(定数150)議員77人は同日、プレアビヒアの世界遺産登録申請に対するタイ政府の支持を盛り込んだタイとカンボジアの共同コミュニケの無効化を求める訴えを憲法裁判所に起こした。国会の承認を得ておらず、違法だとしている。 カンボジア山上遺跡の世界遺産申請、タイが支援取り下げ(newsclip.be) 【タイ】タイ政府は1日の閣議で、タイ国境に近いカンボジア領内の山上にあるヒンドゥー遺跡「プレアビヒア(タイ側呼称、カオプラウィハーン)」の世界遺産登録申請に対するタイの支援を、タイ行政裁判所の最終決定が出るまで停止することを決めた。 タイとカンボジアの政府はカンボジアが周辺地域を除くプレアビヒア本体のみを世界遺産に申請することで合意、先月18日に共同コミュニケに調印したが、反タイ政府団体の訴えを受けたタイ行政裁判所が同28日、支援の一時停止を命じていた。 プレアビヒア寺院:カンボジア国境のヒンズー教寺院 世界遺産登録巡りタイと摩擦(毎日新聞) ◇タイ、一転支持撤回 【バンコク藤田悟】カンボジアとタイの国境に位置し、長年その領有権が争われてきたヒンズー教遺跡「プレアビヒア寺院」の世界遺産登録を巡り、両国の摩擦が強まっている。カンボジア政府による登録申請にタイ政府が合意したのに対し、タイの野党や市民団体が批判。裁判所が政府決定を差し止めたためだ。カンボジア側は「両国の友好関係に悪影響を与えかねない」と懸念を深めている。 カンボジア政府は06年1月、遺跡を世界遺産に登録申請し、タイのサマック政権は6月18日、これを支持する旨の声明をカンボジアと共同で発表した。しかし、タイの野党や市民団体が「国益を損なう」と激しく反発。行政裁判所の共同声明差し止め決定を受けて、タイ政府は1日、支持撤回を決めた。 タイでは先月来、サマック政権内でタクシン元首相の影響力が強まっていることを批判して、市民団体が首相辞任運動を展開している。反政府勢力の間には「タクシン氏が、合意と引き換えにカンボジアでのビジネス利権を狙っている」との警戒感もある。 タイ側の動きに対し、カンボジア政府は「タイ国内の政治対立に歴史遺産を巻き込むべきではない」(ホー・ナムホン外相)と懸念を表明している。 世界遺産登録の可否はユネスコ(国連教育科学文化機関)が2日からカナダのケベック市で開く世界遺産委員会で決まるが、タイの野党党首や上院議員らはユネスコに登録延期を求める嘆願書を提出しており、審査に影響する可能性がある。登録が見送られればカンボジア側から強い反発も予想される。 うわー……これは酷い、としか言いようがない。 イェルサレムみたいに特例で登録できねえのかな。この騒ぎでカンボジアから2件目となる登録がなくなるとしたら悲しい。 さて皆様、今日は東方正教にいうヴィドヴダン、即ち聖ヴィトゥスの日です。この日は色々と因縁を孕んだ日なので、今からその流れをざっと書いてみます(※1)。
事の起こりは1389年6月28日、コソヴォ・ポーリェ(コソヴォが原)の戦いで、セルビア王ラザール、ボスニア王トヴルトコ、ヴァラキア大公ミルチャらのバルカン諸侯軍をスルタン・ムラト1世率いるオスマン帝国軍が打ち破り、そのバルカン進出に一掃の拍車を掛けた、まさにその時。ムラト1世を殺害はしたものの敗れたセルビアは以降、精神文明の中心コソヴォ奪還を誓いつつ生き延びて、そしてミロシュ・オブレノヴィチのもとで自治領セルビア建設に成功、南スラヴ「解放」の旗手をもって任ずる事になる。だがセルビアの主張は、ハプスブルクを苛立たせた。ハプスブルクはセルビアに、南方への進出を支援するという代償で保護国化を要求、サン・ステファノ条約で後ろ盾であったロシアに見限られたと感じたセルビアとの利害が一致し(※2)、1881年6月28日、秘密協定が調印されセルビアはハプスブルクの属国となった。しかし国民の多くは未だに親露的であり、また王室のスキャンダルが重なった事でオブレノヴィチ朝への国民の信頼は失われた。1903年の政変でオブレノヴィチ朝最後の王は射殺され、親露派であるカラジョルジェヴィチ朝のペータル1世が即位し、その後、豚戦争と呼ばれる経済的紛争で両国は決定的に決裂する。 そして1914年、オスマン帝国衰退によるバルカン半島の政治危機(「東方問題」)が1908年のボスニア危機によって沸点にまで高められていた時、セルビア人にとっては屈辱の日である6月28日に、ハプスブルクの皇位継承者が帝国領ボスニアの州都サライェヴォを訪れるという報が民族主義者たちの間を駆け巡った。なんたる侮辱か。怒りに滾った彼ら――「統一か死か」(別名、「黒手組」)は、皇位継承者フランツ・フェルディナント暗殺を決行する。この事件、帝国の辺境で生じたささやかな悲劇は、南スラヴの解放を唱え帝国内のスラヴ人を扇動する(と、彼らの目には映った)セルビアに懲罰を加える事を目論んでいたハプスブルク帝国内急進派に、またとない口実を与えた。皇帝はセルビアに最後通牒を突きつける。その通牒は、セルビアが飲めないように幾度も手直しがされていた。友邦ドイツからの支持を取り付けたと考えたハプスブルクは、それが自らを滅ぼす前奏曲になるとも知らず、セルビアに宣戦を布告する。これが第一次世界大戦の始まりである。 大戦が終わった時、最早ハプスブルクは欠片も地上に形を留めていなかった。戦後これらの地域は、ヴェルサイユ体制のもとに置かれ、その不安定な戦間期を過ごす事になる。対独講和条約は、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間で調印された。1919年6月28日。その日は、すべての引き金がバルカンの片隅で引かれた日だった。 セルビアがモンテネグロと旧ハプスブルク領南スラヴ人地域を併合する事で建国されたセルブ=クロアート=スロヴェーン王国は、当初からセルビア人の優位が明らかだった。例えば、1918年12月15日になされた組閣の内訳を見ると、セルビア人が13人、クロアチア人が4人、スロヴェニア人が2人、そしてボスニアのイスラーム教徒が1人であった。連邦制を望んでいたクロアチア人は、セルビア人中心の体制に猛烈に反対する。そうした中で、憲法が制定された。1921年6月28日に可決されたその憲法は、ヴィドヴダン憲法(Vidovdanski Ustav)と呼ばれた。だが賛成票223に対して、反対35、棄権は161にものぼった。新国家の前途は多難であった(※3)。 第二次世界大戦は、ドイツ軍のポーランド侵攻によって勃発した。バルカン諸国は枢軸側につくよう圧力を受け、ユーゴスラヴィアはその圧力に屈して枢軸に加入するが、国民はそれを軟弱外交として指弾、空軍のシモヴィチ将軍がクー・デターでその決定を覆した。ヒトラーは即座にユーゴに侵攻、呆気なくベオグラードを陥落せしめた。ナチスはその傀儡としてユーゴ解体後の残滓からクロアチアに国家を与え、かつて国王を暗殺した急進派ウスタシャが、国王不在の王国「クロアチア独立国(NDH)」を牛耳り、凄惨な「民族浄化」政策が展開される事となる(※4)。 ティトー率いるパルチザンによる長い長い英雄的な戦いのすえ、ユーゴスラヴィアは解放された。この経験こそが、第二次ユーゴを統一国家として存続させる接着剤の役割を果たす事となる。しばらくはソ連に従順に見えたユーゴ指導部だが、裏では利害対立がより深いものとなっていった。そしてついに1948年6月28日、コミンフォルム(共産党情報局)からのユーゴ追放が発表される。これよりユーゴは、ティトーの指導のもとで、独自の社会主義建設に向けて邁進していく。 ティトーの死後ユーゴスラヴィアの統一は揺らいだ。その中で民族主義者が台頭する。クロアチアのトゥジマン将軍は、退役後、民族派の歴史家として再出発し、ヤセノヴァツを矮小化しようとした。セルビアの南辺コソヴォ自治州では、共和国昇格を求めるアルバニア人と権力維持を狙うセルビア人との間の対立が激化していた。1987年4月、恩人で盟友であるスタンボリッチから事態の収拾の為コソヴォに派遣された若き幹部会会員スロボダン・ミロシェヴィチは、自らの放った「誰にもあなたたちを殴らせない」という台詞が、多くの民衆に熱狂的に受け止められるのを見た。彼が、民族主義は道具に使えると気づいた瞬間だった。1989年6月28日、彼がコソヴォで大々的に開催した「コソヴォの戦い600周年記念集会」は、セルビア民族主義の激しさを内外に知らしめ、北部共和国の指導者たちに警戒を呼び起こした。 様々な要因が絡み合い起こった内戦で、多民族共存の模範とも謳われたユーゴスラヴィアは解体した。セルビアとモンテネグロのみが連邦に残留するが、内戦の「戦犯国」セルビアへの国際的制裁が高まった為、モンテネグロは独立を志向する。2006年5月21日、国民投票で独立を僅差で可決したモンテネグロは、6月3日、独立を宣言する。国連加盟は、6月28日に果たされた。 ……とまあ、こんな感じで、今日は因縁深い日なのです。できればどうか心の片隅に、バルカンの激動の歴史を少しでも刻んでいただけたら嬉しいかなと思います。 そして別のエントリにも書きましたが、コソヴォではセルビア人による独自議会が創設されてしまったようです。今日この日を選んでの事なのでしょうか。ともかく、あの地域に、一刻も早く平安が訪れる事を祈って。 ※1 某所に書いた文の再掲ですが。 ※2 サン・ステファノ条約で、ロシアはセルビアの領土拡大要求を冷たくあしらい、代わりにブルガリアの領土を大幅に拡張した(これはベルリン条約で覆される)。同じ正教徒スラヴ人のロシアに「裏切られた」というトラウマ、これはセルビアのその後の歴史に大きな影響を及ぼしたといえる。 ※3 イスラーム教徒は、体制に反抗するのではなく、体制の中での待遇改善を目指す戦略をとり、ユーゴスラヴ・ムスリム組織(Jugoslavenska Muslimanska Organizacija)、ジェミエット党(Islam Muhafazai Hukuk Cemijet)の2党は賛成票を投じた。一方、クロアチア連合(Hrvatska Zajednica)、スロヴェニア人民党(Slovenska Ljudska Stranka)は棄権した。 ※4 NDHの外相ロルコヴィチは次のように言った。「クロアチア民族にとり異端・異質で、クロアチア民族の健全な力を萎えさせ、クロアチア民族を数百年にわたり次から次へと悪に落としめた全要素から、民族を浄化しなければならない。それは、我が領土に住むセルビア人とユダヤ人である」 主要参考文献: 柴宜弘編『新版世界各国史18 バルカン史』山川出版社 柴宜弘『ユーゴスラヴィア現代史』岩波新書 スティーヴン・クリソルド編『ケンブリッジ版 ユーゴスラヴィア史』恒文社 久保慶一『引き裂かれた国家 ―旧ユーゴ地域の民主化と民族問題』有信堂高文社 月村太郎『ユーゴ内戦 ―政治リーダーと民族主義』東京大学出版会 松村高夫,矢野久編著『大量虐殺の社会史 ―戦慄の20世紀』ミネルヴァ書房 D・ジョルジェヴィチ,S・フィシャー・ガラティ『バルカン近代史 ―ナショナリズムと革命』刀水書房 「歴史のお部屋」 その他ユーゴ関連の書籍,新聞報道,雑誌論文等
世界遺産委員会、来月開催 インドのマジュリ島と山岳鉄道群の登録は(Web-Tab)
【ニューデリー 6月23日 IANS】ユネスコ(国連教育科学文化機関)の第32回世界遺産委員会で、インド・アッサム州ブラマプトラ川の中州「マジュリ島」と「インドの山岳鉄道群」の世界遺産リストへの新規・拡大登録の是非が議論されることになった。 マジュリ島はブラマプトラ川に浮かぶ中州で、河川の上中流域にある中州としては世界最大だという。現在は16万人以上の人々が居住。「生物多様性ホットスポット(訳注:動植物種の喪失が著しく、保全の重要性が高い地域)」とされ、河川の浸食作用で岸辺が急速に後退しているため、保全の必要性が叫ばれている。 一方のインドの山岳鉄道群は、「ダージリン・ヒマラヤ鉄道(訳注:1999年に登録済み)」、「ニルギリ山岳鉄道(訳注:2005年に登録済み)」、「カルカ=シムラ鉄道」、「マテラン登山鉄道」で構成される。今回は未登録の2路線を含めた拡大登録について議論される。 今年の世界遺産委員会では、41か国の自然・文化遺産について議論される。うち5か国(キルギス、パプアニューギニア、サンマリノ、サウジアラビア、バヌアツ)には現在、登録されている世界遺産がないという。 ドレスデンのエルベ渓谷、世界遺産登録から抹消か(AFP通信) 【6月24日 AFP】カナダのケベック市(Quebec City)で7月に開かれる国連教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産委員会で、ドイツ東部の古都ドレスデン(Dresden)が世界遺産のタイトルをはく奪される可能性が出てきた。関係者が20日明らかにした。 7月2-10日に開催される同委員会では、登録されている遺産の状況評価を行うと同時に、各国から申請されている47件の世界遺産登録候補地の審査を行う。 18-19世紀の自然を残すドレスデンのエルベ渓谷(Elbe Valley)は今回、渓谷中央部への橋の建設計画決定を受けて、世界遺産から外される可能性があるという。 全4車線のフォレスト・キャッスル橋(Forest Castle Bridge)の建設に対し、環境保護団体は「エルベ渓谷に生息する希少なキクガシラコウモリが脅かされる」として建設差し止めを訴えたが、裁判所はこれを却下。建設は07年11月に開始された。市民の多くは、交通渋滞が解消されるとして、橋の建設に賛成している。 今回の世界遺産委員会では、1985年に世界遺産に登録されたイスタンブール(Istanbul)旧市街も、秩序のない都市開発を停止するよう勧告されると予想される。委員会は5月、イスタンブールに調査団を派遣した。 また今回新たに登録が申請されているのは、スコットランドのアントニヌスの長城(Antonine Wall)、中国の三清山国立公園(Mount Sanqingshan National Park)、北朝鮮の開城(ケソン、Kaesong)の碑石、カンボジアのタイ国境にあるプレアビヒア寺院(Preah Vihear Temple)など。 ユネスコは前年、登録抹消の初めてのケースとしてオマーンの「アラビアオリックス保護区」を世界遺産から外した。オマーン政府が保護区の面積の90%を削減したことが理由とされた。 ドレスデンに関しては、抹消されるでしょうし、またそうされるべきである、というのが私の基本的な考えです。 ドレスデンは「正しい」選択を為したのだろうと思います。景観よりも市民の利便が優先。それは確かに、その街にこれからも住んでいく市民にとって「正しい」決定なのでしょう。そしてケルンという前例や、UNESCOからの警告があった事も当然知っての上での行動ならば、つまり「世界遺産」という名誉よりも実利の方が大切だと選択したのであれば、抹消は当然の結末です。 ただし私は思います。景観を破壊する事は、確かに住民の利便にとっては良い結果をもたらすものかもしれません(実際にドレスデンでは、橋梁の建設で交通渋滞が緩和される事が期待されている)。しかし、文化財を守り伝えていくという事、景観も人びとが作り上げてきた歴史的遺物なのだという事、これらも同様に重要な事だと思うのです。故に私は今回のドレスデンの決定について、残念に思います。このバランスをどう取っていくかという問題は、多くの国で持ち上がっているし、これからも取り上げられていくでしょう。UNESCOがドレスデンに示した警告は、日本を筆頭としたすべての先進国に向けられたものでもあると解すべきです(※1)。我々は、ケルンやドレスデンの例を「単なるゴタゴタ」としてではなく、真剣に受け止め、対話を積み重ねる必要があるでしょう。 アントニヌスの長城は、おそらく「ローマ帝国の国境」の一部を構成する事になると思われます。英独共同登録の一環です。 今年は、記事でも言われている通りヴァヌアツ、パプア・ニュー・ギニアの2ヵ国の物件が審議されます。今までオセアニアで世界遺産を有していたのは3ヵ国だけだったので(※2)、地域間格差の是正という意味でも有意義なものになるでしょう。 平泉がどうなるか、ですが……私は悲観的に見ています。流石に今回は、ICOMOSの勧告を覆す事は難しくなるでしょう。また強引に登録してもそれは我が国の為にはなりません。今回は、おとなしく決定に従うべきなのではないでしょうか。 とにかくも、7月が今から楽しみです。 ※1 残念な事に、多くの歴史都市が残る先進国で最も景観破壊が著しいのは我が国。 ※2 豪、NZ、ソロモン諸島。
遺骨はロシア皇太子と皇女 ニコライ2世一家、全員確認(朝日新聞)
【モスクワ=星井麻紀】ロシア最後の皇帝ニコライ2世の長男アレクセイ皇太子と三女マリア皇女とみられた遺骨は本物だったと24日、検察当局が発表した。昨年7月、皇帝一家が最後の時をすごしたウラル地方エカテリンブルクで見つかり調査が続いていた。これで一家全員の遺骨が確認されたことになる。 インタファクス通信などによると、調査の結果、遺骨は12~14歳の男性と17~19歳の女性のもので、焼かれた跡があった。米国などでのDNA鑑定でも遺骨は2人のものと確認された。7月後半に調査の全容が公表される予定。 ニコライ2世一家は、ロシア革命翌年の1918年、ソビエト政権によって銃殺された。その後、生存説など様々なうわさが飛び交ったが、91年、皇帝が幽閉されていたエカテリンブルクで9体の遺骨が発見された。英国の鑑定でニコライ2世らのものとされたが、その中に2人の遺骨は含まれていなかった。 ロシア史上何度も騒がれた「偽物」騒動に、科学で決着がつく時代になったんですね。そう思うと、何か歴史の偉大な瞬間を目にしているような気がします。 たとえばリューリク朝断絶後、ボリス・ゴドゥノフがツァーリとして戴冠するという前代未聞の状況(※1)の中で、幼少のみぎりに事故死した(※2)皇子ドミトリーを名乗る人物がモスクワ入城を果たすなどというこれまた異常な状況が発生しました。また近世においては、皇女アナスタシアなどの逸話もあります。ロシアは、ひどく大雑把に言ってしまうなら貴い血をひいていると称する偽物が多く出現してきた国です(※3)。 でもこれで、少なくともアリョーシャとマーシャについては、偽物が出る事はなくなった訳で(※4)、そういった意味では多少の不謹慎な寂しさを憶えてしまうのですが。 そういえば、某探偵アニメの映画版のオチが、これですっかりの虚構になる訳ですね。あのような物語があっても面白そうなどと思っていたので、そういう意味でも寂しいですw ※1 ルーシは基本的に、ノヴゴロドをひらいたリューリクの血筋によって統治されてきた。それが断絶するというのは、日本で天皇家が断絶するようなもの。 ※2 死因はナイフによる。といっても、だから怪しいという話ではなくてナイフを投擲する遊びの最中だった(と、乳母や友人は証言している)。 ※3 かなり偏見に満ちた言い方ではあるが。 ※4 このご時世、「生き延びた」説が提出される事はあっても「偽物」は出てこよう筈もなかろうが。 < 前のページ次のページ >
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